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創刊時の「峡中新聞」など寄贈

2022年1月14日 19時28分
藤原義久さん

藤原義久さん

 山梨市一町田中の藤原時計店専務の藤原義久さん(39)が、山梨日日新聞の前身で150年前に創刊された峡中新聞の創刊号をはじめ、甲府新聞、甲府日日新聞など計13部を、山梨日日新聞に寄贈した。いずれも明治時代の発行で、最初は冊子だったものが二つ折りになるなど形式や紙面の大きさの変遷が分かる貴重な資料。山梨日日新聞で保存・活用する。〈桑原久美子〉

 峡中新聞は、1872(明治5)年7月1日創刊。当初は1、2カ月に1回発行し、73年4月に発行した第9号から甲府新聞と名称を変え、76年から甲府日日新聞、81年から現在の山梨日日新聞となった。今回、藤原さんが寄贈したのは峡中新聞の創刊号から7号(6号は付録のみ)と、甲府新聞(17、18、21、147号)、甲府日日新聞(1202号)。
 このうち、峡中新聞7号と甲府新聞17、147号、甲府日日新聞はマイクロフィルムはあるが、原紙は社にも残っていなかった。7号は冊子形式で縦22センチ×横15センチ。表紙を含めて18ページあり、当時の主力輸出品である生糸について、養蚕技術や桑の植え付けを「第一ニ注意スベキ」とし、具体的な方法を伝えている。甲府新聞は最初は冊子形式だったものが、147号では二つ折り(縦33センチ×横24センチ、4面)となり、甲府日日新聞(二つ折り、縦41センチ×横30センチ、4面)でも大きさを変えながら引き継がれていることが分かる。
 山梨日日新聞社データベース部の萩原久貴部長は「保存状態が良く、当時使っていた紙質や大きさの変遷が分かる貴重な資料」と感謝。「創刊150年の節目に寄贈していただきありがたい。大切に保存し、展示などに活用したい」と話している。
 藤原さんは約10年前にも、自宅で代々保管されていた創刊号などを寄贈している。その後、趣味で地域の歴史資料を収集する中で今回の新聞を入手したという。「当時の新聞から歴史が感じられる。本来あるべきところで役立ててもらえればうれしい」と話している。
 山梨日日新聞社は、甲府空襲で過去の新聞を焼失するなどし、一部の原紙は残っていない。特に1882(明治15)年は1日分もなく、同年を中心に当時の新聞を募集している。問い合わせ、連絡先は山梨日日新聞社データベース部、電話055(231)3158。電子メール database@sannichi.co.jp